高田政弘-1章-
私が今回卒業研究を取り組む際に最初に思ったのは「楽しいものを作ろう」「人とは違ったものを作ろう」ということでした。
卒業生の方々の卒業研究を見せてもらったときに「デルファイでこんなことも出来るのだ」と感心したと同時に「もっと違うものは作れないのか?」という疑問が起こりました。
そうした疑問を、持ちつつ卒業研究に取り組む時に一緒に同じような考えでいた橋野君と共同研究という形をとることにしました。共同研究をする上で橋野君と色々話し合い、色々な案を出し合いました。
当初二人の卒業研究の予定題材は、現在ここにある卒業研究とはかなりかけ離れているものでした。卒業研究を製作するにあたって私が最も重要視したのは前述したとおり「他人とは違ったもの」でした。
何故そのような考えにいたったかというと、僕の中に「卒業研究=役立つもの,実用性の高いもの」という暗黙の了解と言える掟のようなものがありました。
それは他の人も同じ考えであると思いますし、間違っていないと思います。実際今まで大学でデルファイを選びそれを学んできてその集大成とも言える卒業研究が全く役に立たないものであったならば卒業研究の意味をなさないと思いますし、単に自己満足になってしまいます。
そうはならないように、かつ他人と違ったものを作成しようと考え、色々考えが右往左往して最後に「ゲーム」というのが思いつきました。またゲームを作成しようと考えたのは自分の勝手な解釈かもしれませんが今までの卒業研究(実用性が高いものに主眼が置かれた卒業研究)ではなくて、また違った新しい視点での卒業研究(実用性は高くないかもしれないが「あったら面白い」とか作成したソフトウェアの技術が他のソフトウェアに応用できるような卒業研究)になればいいなと思ったからです。
私が卒業研究に取り掛かるときに、デルファイでゲームを作成するといったものやデルファイによって作成されたゲームがあるか、インターネットや書籍,さらには森田先生に本を貸していただいて調べてみました。
パソコンを使用する人,使用目的というのはEXCELやWORDといった代表されるアプリケーションの使用やインターネット,メールの送受信等を目的としていると思います。アプリケーションを行う媒体としてパソコンが存在すると言う考えに主眼が置かれているのであるならば、そうした中でWINDOWSの中に入っている「アクセサリ」の存在意義というのはどうでしょうか?
私自身もパソコンを持ったときはやはりインターネット、WORD等を使用したのですが,パソコンを操作しているときに「少し暇になった」、「ちょっと息抜きしたい」とか「やること特に無いが何かしたい(手持ちぶさた)」と思うときは大抵「アクセサリ」の中にあるゲームで遊びます。
「アクセサリ」の中に入っているゲームは暇つぶしやちょっとした気分転換には最適であると私は思います。それと同時に「アクセサリ」は名前以上に必要なものであると私は思います。身の回りの人に聞いてもやはりアクセサリのゲームをやったことの無い人はいませんでした。なかにはウインドウズの中の「フリーセル」というゲームを100回以上やっている友人もいました。こうしたことをふまえるとゲームというのが現代のパソコンの中に入っていて当然の状態になってきていると思います。またパソコンがアプリケーションのためだけにあるのではなくゲームをパソコンで楽しむというのが普通になっているとも言えると思います。
その裏側にはユーザがパソコンに求めるものが、ただ表計算をしたり文章を打ち込んだりするためだけでなく、ゲームなどに代表されるようにパソコンで「娯楽性」を求めると言った部分があると思います。そう考えるとパソコンの「実用性」と「娯楽性」というのは、切っても切れない関係であると思います。もしくは今までユーザがパソコンに求めてきたものが「実用性」だけではなくなってきて、パソコンを使用して「娯楽性を求める」と言った新しい尺度というのが生まれてきているのではないでしょうか?
何故そう思うかと言うと今もマイクロソフトWORDを使って文章を作成しているのですが,ヘルプにある「OFFICEアシスタント」というアニメーションキャラクターが良い例だと思います。このキャラクターを何故表示されるようにしたかと言うのは私が思うに「実用性」と「娯楽性」を兼ねているのだと思います。と言うのはパソコンの初心者の人などが、WORDを使用して分からない事があった時に、それこそ何があるか分からないであろうツールバーのヘルプを探してヘルプを開いて自分で調べるより、画面上に出ているキャラクターに分からないことを聞いた方が聞きやすい、またそういった行為が自然に出来るのではないでしょうか?当然アシスタントなので分からないことをそのキャラクターに聞くと言うことでも実用性を兼ねていることになります。
そして「娯楽性」というのはキャラクターが勝手にアニメーションをするということで、ほんの少しの気晴らしにもなると私は思います。実際私も卒業論文を書いているときに、なかなか思うことを文字に表せない時や、いい文章が思いつかない時はアシスタントをアニメーションさせたりして(アニメーションのパターンがとても豊富)気晴らしをしています。そういう意味ではある意味「娯楽性」と言えるのではないでしょうか?そうすると気持ち的に少し楽しくなったりし、気分転換にもなり作業がより楽しくなり効率良く作業を行えると思います。またそうのようになることが「OFFTCEアシスタント」役目なのではないでしょうか?そのように私は考えているので「実用性」と「娯楽性」と言うのは、言葉ではかけ離れているように考えがちですが、実は「表裏一体」とは行かないまでもとても仲の良い関係であると私は思います。
そうした中での卒業研究にあたり娯楽性の必要性、ゲームの開発などを考えていた時に自分の考えた作品以外のソフトウェア、例えばウインドウズに入っているゲーム(先述したフリーセルなど)やインターネットや雑誌の付録CDに収録されているフリーソフト等を考えたときに今現在身の回りにはパソコンのゲームがたくさんあふれている事が良く分かります。なかには書籍でWINDOWS用のフリーソフトばかりを収録したものが多数もありました。
ゲームの種類と言うのはRPG(ロールプレイングゲーム)、シューティングゲームゲームに始まりパズルゲーム、最近では体感ゲームにいたるまで様々なジャンルのゲームが多種多様に出回っています。その多種多様のゲームの中には、娯楽性を重視しているのゲームや実用的なゲームがあります。体感ゲームなどは娯楽性重視ゲームの代表と言っても差し支えないと思います。また実用的なゲームソフトと言えば、タイプクイックを素早くできるようになるゲーム等はそれにあたると思います。
卒業研究で私が作成したゲームはどちらかと言うと自分自身に実用的というのではなく、デルファイの機能を生かして、娯楽性の高いものです。そうしたのも私が自分なりに「こんなのがあったら面白いのではないか?」とか「こうした方がより興味を持てるかな?」と試行錯誤し開発しました。
開発当初,自分の能力,技術が無いのを考えていなく理想だけが高くなってしまい技術的な面での力の無さに計画の断念をしたり、また自分の技術力とも格闘し、共同開発の橋野君や全く違うプログラムを開発している友人を巻き込みながら開発しました。
ゲームを開発する上で一番重要なのは、「オリジナルティ」だと私は思うのですが,先ほど述べたとおり今現在は多種多様のゲームがでまわっており全く新しいジャンルのゲームを創造、開発と言うのはとても難しい事だと思います。しかし「オリジナリティ」が無いゲームというのは新鮮さが無く、ゲーム的にもユーザに「軽く」(内容が軽いのではなく既出のゲームと同じ物だと)とられてしまいます。
「オリジナルティ」が大切であるのは先述しましたが,アクセサリの中のゲームはもちろんフリーソフトの中で私が調べてみた範囲の中で私が作成したようなソフトウェアはありませんでした。なぜかというと私のソフトウェアは3種類のゲームを持っていると言うところが大きな決定打だと思います。フリーソフトやゲームはたいてい一つのソフトにたいして一種類のゲームに限られます。ブロック崩しのゲームならブロック崩しのゲームだけ,スロットゲームならスロットゲームだけ・・・となるのです。
私の作成したゲームを一つずつ他のフリーソフトやゲームと比較をしたら類似した作品というのはといろいろあると思います、ですが私のソフトウェアは3つで一つなのと、ソフトウェアの意義、目標が私と違うのでそこまで深く追及しないことにし、一つ一つのプログラムの細かい技術的なところの比較だけにとどめました。またそのゲーム開発の目的の違いが、私がゲームを開発した意義でもあり本作品とフリーソフトやアクセサリのゲームとの違いです。そして何故私が3種類のゲームを持つソフトを開発したのかは,一つのゲームを深く追求するのではなく、数種類のゲームを持つ事によって「オリジナルティ」を出し,かつデルファイの機能(グラフィックやサウンド)を生かすことが出来ると思ったからです。
私が開発したソフトウェアはフリーソフトやアクセサリのゲームと根本的に違うのが「娯楽性」の追及です。ゲームと言うのはバーチャルリアリティ(バーチャルリアリティ)という言葉に現されるように「もし、自分が〜だったら」という大前提があると思います。そうすることによってユーザの興味をひき,もしくはユーザの欲求を満たし、ユーザはそのゲームの世界にのめりこんでいきます(そうなるようにしないとゲームは面白いものにならない)。ユーザをのめりこませる要素を考えるのはたやすいことではないと思います。この要素こそがゲームの根本,命ともいえます。
そうした面白さを追求,ユーザの思い通り(ユーザが願うソフトウェア)のソフトウェアと自分のソフトウェアを「娯楽性追求」といった面で比較をしてしまうと私の卒業研究は劣っていると思いますし、卒業研究の意図とは違ってしまいます。しかし娯楽性を追及しないゲームと言うのはありえないと私は考えています。
矛盾する論理ですが例えを出すと「トランプ」と「TVゲーム」の差といえばわかりやすくなるでしょうか?トランプと言うのは万人が出来、誰でも気軽に楽しむことが出来る本当「定番の娯楽ゲーム」です。
それに比べTVゲームはプレイする年齢はやや若い世代に偏っていると思います,このユーザ(プレイヤー)の差と言うのもありますが、それより何より一番大きな差は「持続性」、「継続性」だと思います。なんとなく「持続性」とかくと誤認されてしまいそうですが,先ほど私が述べたトランプは対象が「万人」でした。今までトランプをやったこと無いと言う人にはいまだに出会ったことはありません。
次にTVゲームはどうでしょうか?よく友達と「○×というゲームやった?」と言う話になります。TVゲームと言うのは万人がやったことあると言うゲームソフトと言うのはまれです。ですがTVゲームは人に愛され、色々なTVゲームの専門誌もたくさん出ています。ですが同じように熱中するはずのトランプの月刊誌や週刊誌と言うのは聞いたこともみたこともありません。それほどTVゲームは熱中しやすくトランプより感情移入がしやすいのではないでしょうか?それがTVゲームの面白さだと思います,そうした熱中しやすさ,惹きつけられる力がTVゲームの魅力だと思います。しかしTVゲームはトランプほど万人に受け入れられているとは思いません。そういった意味ではトランプの方が(先ほど「定番」と書きましたが)娯楽対象の層が広く「持続性」はTVゲームより勝っていますがTVゲームほど深く娯楽を追求しユーザを惹きつける力と言うのは弱い気がします。これが二つのゲームがゲームとしての魅力の違いではないかと思います。